勝海舟・坂本龍馬・中岡慎太郎の最強トライアングル②
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第48回 ~勝海舟・坂本龍馬・中岡慎太郎の最強トライアングル②
○坂本龍馬と中岡慎太郎は相互守護神!お互いにお互いの役に立つ!
守護神とは、自分の足りない部分を補ってくれる存在。守護神は、自分の気づかない部分を教えてくれたり、新たな能力に気付かせてくれたりする。つまり、守護神は自分の世界を広げるのに重要な人材。お互いに守護神だった場合、相互守護神となる。
守護神表を用いて導きだしたところ、坂本龍馬の守護神は「丁・甲・丙」、中岡慎太郎の守護神は「癸・庚・丁」であるが、相手の日柱にこれらのいずれかが入っていると、相手はその人にとって守護神となる。龍馬の日柱の十干は「庚」、慎太郎の日柱の十干は「甲」であり、お互いにお互いの守護神が入っていることから、両者は相互守護神という相性になる。この相性がどれほど珍しいかを一概に言うのは難しいが、イメージ的には100人に1人といったところだろうか…。なお、私はこれまで1000人以上を鑑定してきたが、これまで相互守護神には1人しか出会っていない。
坂本龍馬と中岡慎太郎は、両者とも土佐藩出身で、土佐勤皇党に所属し、若くして脱藩している。その後、龍馬は海援隊の隊長、慎太郎は陸援隊の隊長として大活躍し、ともに刺客に襲われ亡くなっているとなれば、兄弟のように仲良しのイメージを抱くだろう。
しかし、両者は土佐においてほとんど関係がなかったらしい。龍馬は下士の中で最も身分の高い郷士、それに対して、慎太郎は下から2番目の大庄屋であり、まずもって身分が全く異なる。土佐勤皇党の中でも、派閥が異なったようで、慎太郎は正統派だったのに対し、龍馬は異端派だったということで、両者は会合で会うことはあってもほとんど交流がなかったものと思われる。
その後、同時期に脱藩するが、しばらく関わりがなかった。倒幕のために急接近するが、龍馬は勝海舟らの公武合体派のもと、薩摩藩の後ろ盾を得ており、一方の慎太郎は長州藩の尊王攘夷派を後ろ盾にしているというように、その背景も全く異なる。その上、それぞれが隊長を務めた、海援隊・陸援隊にしても、土佐藩の藩外遊軍として位置づけられた組織でありながら、その目的も性質も全く異なったという。海援隊は、薩摩藩の後ろ盾を得た、株式会社、商社のような組織だったのに対し、陸援隊は武力倒幕のための武力集団でだった。
2人は性格も異なり、龍馬は思い切りがよく目立つ性格なのに対し、慎太郎は影でコツコツ努力を積み上げる縁の下の力持ちタイプだった。また、2人が会う機会はそれほど多くなかったようで、1868年11月15日、刺客に襲われた日に近江屋で会合をしていたのも、全くのたまたまだったという。新選組に捕らわれていた土佐脱藩の宮川助五郎が放免されることになり、その日はその引き取りについて相談していたそうだ。
確かに2人の相性をパーセンテージで見ると、たったの40%(最高100%)。特に気が合うとか、一緒にいて落ち着くなどといった、いわゆる仲のいい親友といった間柄ではなかったのだろう。実際に、お酒を飲むとよくけんかしていたという。新政府の在り方についての考えも異なり、龍馬は、徳川慶喜をトップとした新政府を築こうという温厚派だったのに対し、慎太郎は武力討幕派だったと言われる(所説あり)。もしかしたら、1868年11月15日も今後の方針を巡ってけんかをしていたのかもしれない。
ところが、すれ違いが多い割には偶然が重なり過ぎている。薩長同盟を持ちかけたのは、慎太郎と言われているが、薩長同盟を結ぼうと思い立ったとしても、信頼と人脈が必要である。そんな中、龍馬は薩摩に、慎太郎は長州に精通していた。そんな2人が両藩に働きかけ、最終的に薩長同盟が成立するのだが、この同盟の成立には、両者の全く異なった性格、いわば、龍馬のカリスマ性と、慎太郎の地道な根回しが必要であった。慎太郎の根気強い調整によって、長州藩内の反薩摩の雰囲気ををやわらげた上で、1866(慶応2)年、場の雰囲気づくりのうまい龍馬の立会いのもと、長州の桂小五郎ら、薩摩の西郷隆盛らとの間で同盟が締結された。
あるいは、慎太郎がハード面を説いたのに対し、龍馬がソフト面を説いたとも言えるだろうか。慎太郎が説いたように、精神面では両藩が組む必要性がわかっていても、財政的に窮地に立たされていたとしたら、進むものも進まない。長州藩は幕府と対立していたため武器が手に入らず、一方の薩摩藩は兵糧米が不足して困っていた。龍馬は両者の足りない物をお互いに補充させるべく、海援隊を通して貿易を成立させた。慎太郎は最初このやり方には異を唱えたが、最終的には龍馬のやり方に従ったという。
海援隊、陸援隊ともに薩長同盟の締結のために動いたが、京都で行動する際、龍馬は顔が知られ過ぎていて敵に狙われやすいため、海援隊は薩摩と長州の間での調整や連絡、武器や物資の搬送を行った。それに対して、実際に動いて京都の政界を担当するのは陸援隊というように分業した。
このように、今にして思うと、龍馬と慎太郎、海援隊と陸援隊は、背景、性格、役割がパズルのように組み合っていた。まさに龍馬の陽、慎太郎の陰が功を成したといえるだろうか。いずれかが欠けていたとしたら倒幕はなっていなかったともいえる。「相互守護神」、お互いにお互いの役に立ち、それぞれがプラスに働き、新たな自分を発見させてくれる。実際はそれほど仲はよくなかったかもしれないが、この関係性こそが、「相互守護神」と言える。